最近、中山君や井森さんのおかげも有り、全国的に有名になった「上毛かるた」ですが、群馬県人であれば読み札については100%暗記していると思います。
では、この「上毛かるた」はいつ頃からあったのでしょう?
1946年、満州から引き上げてきた浦野匡彦氏が、群馬の子供達に愛すべき故郷の歴史、文化を伝えたいという想いから、県内各方面から題材を募り、郷土史家や文化人ら18人からなる編纂委員会が、44の句を選び1947年に完成させました。その際、群馬を代表する国定忠治や小栗上野介といった有名人でもGHQの検閲で選ばれなかったそうです。
郷土の歴史や文化を伝えたいという想いで作られた「上毛かるた」ですが、唯一「ち」だけは、「今」を表しています。発行当時、人口157万人だったのを四捨五入して、160万とし「ちから合わせる160万」から始まり、1973年に170万、1977年に180万、1985年に190万、1993年に200万となったようです。県民の人口の減少もあり、いずれ190万に戻る日もくるのでしょうか。
新しい「上毛かるた」を買ってきて、蓋を開けた時に、一番上にある札は何かご存じですか?
「い」と「れ」です。しかもこの2枚の読み札だけピンク色だったって知っていました?これにはちゃんとした理由がありますが、長くなるのでググってみてください。
子供達の間では、手っ取り早く世界一になる方法として、「上毛かるた」の県大会で優勝するという事があるそうです。「上毛かるた」は群馬県にしかなく、群馬で一番になるという事は、世界で一番という理由からなのだそうですが、とはいっても予選から勝ち上がって県大会で優勝する事は簡単なことではありません。因みに、私の住む町内には、世界チャンピョンがゴロゴロ居ます。以前某テレビ番組で、大会の様子が特集されていました。本来なら、小学生高学年の県大会連覇を映したかったようですが、残念ながら、優勝することはできませんでしたが、その裏で中学生の部で、ちゃっかり優勝していたという落ちまで付けて。
大会では「上毛かるた」特有のルールがあります。決められた札を取ると、ポイントが加算されるというものです。
つ・ち・け(親札)、群馬県の地形、人口、県庁所在地を表す3枚。
す・も・の(三山札)、上毛三山(赤城山、妙義山、榛名山)を表す3枚。
お・か・め・き・け、群馬を代表する5都市を表す5枚。(太田市、高崎市、伊勢崎市、桐生市、前橋市)
実戦ではこれらの役札を揃える事はなかなか難しいのですが、揃えられれば勝利に向けてまっしぐらです。
「上毛かるた」の著作権ですが財団法人群馬文化協会が平成25年10月28日の解散に伴い、著作権及び商標権は群馬県に無償で譲渡されたそうです。
今後は、群馬県主導で「上毛かるた」をはじめ、群馬県の名前を全国に発信し、以前書いた、全国知名度ランクアップに繋げていただきたい」ものです。(せ)