最近、日本テレビのケンミンショーをはじめとして、面白県民として群馬のお店や人々を紹介するテレビ番組が多いように感じます。ざっくばらんな人柄や人懐っこい県民性が強調されて、とても面白可笑しく群馬県&群馬県民が紹介されています。2大面白ケンミンとして、西の大阪、東の群馬と言われているそうです。私は生まれも育ちも群馬県、根っからの群馬県民です。日本史で幕末が好きなので、薩摩、長州、土佐、会津などから数多くの人物が排出されたのに、なぜ上州からは英雄が生まれなかったのかと歯がゆく感じたこともありました。
先日、妻から次のようなLINEメッセージが届きました。「内村鑑三の“上州人”という漢詩。まさにその通りで、これを心の中に留め置くことで上州人として誇りを持てるではないかと思いました。会津や薩摩などには及ばないけれど、少なくとも内村鑑三は自分を上州人として誇りを持っていたようです」私が時々会津は本当に凄いとか、薩摩は大したもんだ、とか言っていましたので送ってくれたのだと思います。そして「高崎新聞」というWEB NEWSのURLも張り付いてくれました。群馬県民ならみんなが知っている「心の灯台 内村鑑三」さんが残した「上州人」という漢詩を紹介しているページでした。
「1961年に生誕百年を記念して、高崎公園わきの頼政神社境内に内村鑑三記念碑が市内の工芸家水原徳言の設計により建立されました。鑑三が幼い日に遊んだ烏川を眼下に、遠く浅間山を望む景勝地で、中央の黒御影石に、死の一カ月前に病床を見舞った親友の牧師住谷天来に贈った「上州人」の漢詩が刻まれています。
上州無智亦無才(上州人は無智にして無才であり)
剛毅木訥易被欺(意志が強く純朴で飾りけがなくだまされやすい)
唯以正直接萬人(ただひたすら正直にすべての人に接し)
至誠依神期勝利(まごころを尽くして神による勝利(恩恵)を待っている)」
また、こんなことも書かれています。「晩年の1928年10月、若松町の光明寺に先祖の墓参りをした鑑三は、日記に「噫我も亦上州人である」と記していますが、この詩の上州人は自分自身でもあったのです。」
そうです。我もまた上州人なのです。(み)
高崎新聞 HP ⇒ http://www.takasakiweb.jp/takasakigaku/jinbutsu/article/08.html